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レジオン・ド・ヌール勲章を受賞して
  早間玲子建築技術事務所

早間 玲子  G.E. Architecte Desa & Duny

昨年7月14日のフランス革命記念日に、在仏外国人6人がレジオン・ド・ヌール勲章を受賞しました。アルジェリア・イギリス・日本・中国が一人ずつ、イタリヤ二人の内訳です。私の場合、まず戴いたのがバルニエ外務大臣からのお手紙で、モチーフとして、「経歴・経験を認知し、且つ日仏間の文化・経済交流の発展への貢献を感謝する」とありました。今回の受賞で知つたのですが、フランス人の場合、勲章を授けて下さる代父を選び、叙勲式を終えて初めて受賞となるそうです。外国人は、大統領令発令時が受賞とのことですから、叙勲式は特に必要はありません。
しかし38年もフランスで過ごしておりますと、これまでお世話になった方々が多く、友人・仕事の仲間、更に依頼主の方々と受賞の光栄を分かち合いたい思いが強く、叙勲式をすることになりました。
  クリスチャン・ポンスレー上院議長にお願い致しましら、直ぐに受けて下さいました。ポンスレー上院議長は、ミノルタさんの工場を建設した15年前、ブォージュ地方議会の議長を務めておられ、初めてお目にかかりました。外国企業が地方に進出する場合、将来の工場稼動も考慮に入れて、地域の政治家とのコンタクトが出来てきます。ポンスレー議長は、建設に関して私の方に直接電話で質問を投げかけてこられるなど、大変率直な方で仕事のし易い雰囲気をつくって下さいました。現在もブォージュ地方議会議長を続けておられますが、ほぼ六年前より上院議長に選出されました。フランスの上院議長とは、大統領に次ぐフランス国家を代表する二番目の方ですから、大変重要な地位にあります。去年十月初め三度目の上院議長に再選されると、直ちに議長官邸での叙勲レセプションを提案されました。大変光栄なことと思っております。
  叙勲式には、平林大使をはじめ在仏日本人各界の代表、ブールジュ元大臣・元ブルターニュ地方議会議長、ペルシュ地方・ルノアール下院議員、ウーブリユー元在日仏大使、建築主と建築協力者の方々など70人余りのご出席を戴いて、官邸で暖かいおもてなしを戴き、無事に終えることが出来ました。
官邸は、“Petit Luxembourg“ と呼ばれる Senat の建物のなかで、最も古い17世紀の美しい建造物です。唯、サロンの収容能力に限りがありますので、友人多くをご招待出来ず心残りでしたので、叙勲式のご報告をする次第です。
  私は在仏38年余りとなりますが、近代建築の父と言われるル・コルビュジェの弟子・前川国男先生に師事した仕事始めが、在仏の出発点となりました。先生から学んだ建築哲学と技術の基礎があってこそ、現在の私が存在していることを痛感致します。1966年末、日仏工業技術交換留学生の資格で渡仏し、同じくル・コルビュジェの弟子、シャルロット・ペリアンと在仏日本大使公邸のインテリアを手始めに、ジョルジュ・カンジリス都市計画事務所での修行と腕試しの後、偉大なクリエーター、ジャン・プルーヴェに出会い、多くの公共建築建設に従事した6年余の勤務を経て1976年に私の設計事務所を開設するに至りました
 

フランスでは、建築家は絵画・彫刻と同様文化省管轄ですが、後者との大きな相違点は、発注者無しには殆ど実現出来ないことです。1983年夏、私はキャノン・ブルターニュ工場設計のご依頼を戴きました。キャノン・ブルターニュ創始者・えの目社長(「えの」の漢字は「魚」へんに「援」のつくり)は、敏腕・率直・おおらかで声も大きい方でした。専門家としての知識と経験を認めて戴いたとはいえ、今から20年以上も前に、大組識のバックを持たない一女性に工場の設計監理を発注なさることは、自己判断への確信は勿論のことながら、大きな勇気をもって決定されたと思います。第一期工場は、えの目社長の敏速な御決定を戴いて、ご期待通りの工期・予算を厳守して無事竣工するに至りました。二期・三期工事と引き続き竣工して、社員食堂を含む現在の原形が出来あがりました。この工場設計の実績は、その後ヴォージュ地方のミノルタ工場、オルレアン・日立コンピューター工場、ブルターニュのサンデン工場設計監理などの大型工業建築設計へのご発注に展開していきました。えの目社長は1994年、享年62歳で逝去され、優れた実業人を失いました。人生にはそれぞれ節目がありますが、私にとっては工業建築への出発点をつくって下さったばかりか、実に楽しく効率よく仕事を進めていくことが出来た生涯忘れ得ぬ建築主として、このホームページをお借りして心からご冥福を祈念する次第であります。

  この30年間に私がフランスに建設出来た計画案は、ほぼ15点ですから決して多いとは言えません。工業建築では機能性に加えて、特に工事費と質・工程が要となります。例えば工事費を取り上げますと、竣工時の工事費のみではなく、3年・6年・10年後など消費を含む先を見通した総合工事費について、建物を使用する企業の生産計画と平行して検討されないと本物の経済性を示す数字が示されません。このように設計前にプログラムとして検討すべき隠された問題は沢山あります。建築主と論議を重ね、地域の行政機関と話し合い、慎重に煮詰めて誕生した建築物は、古いものでは20年以上の年齢を重ねてきました。これらの建築物が、―その大半は日本企業の工業建築ですがーその間、安全に機能的に稼動し、長い時間を経過して、地域と共生し、助け合い、自然環境や住環境の改良に役立ち、地域の人々に愛されて、この度、日仏間の文化・経済交流の発展に貢献したとの評価を戴いたことは、大変光栄なことです。ポンスレー上院議長はスピーチで、「フランスの地域になじんだ建築物の発注者の方々に心から敬意を表します」 と述べられました。私は、これらの建築作品を一緒に造って下さった建築主の方々と共に、叙勲の光栄を分かち合いたいと思います。
私は今回の受賞を通して、これほど日本人であることを強く意識したことはありません。その意識とは責任です。建築家として社会人として、日仏間の文化・経済交流の発展に今後とも貢献出来ますよう、尚一層の努力を励みたいと思います。

2005年3月8日付け