ジョスパン元首相(社会党)が死去、88歳
1997年から2002年まで左派内閣を率いたジョスパン元首相(社会党)が3月22日に死去した。
23日に家族が発表した。88歳だった。
ジョスパン氏はENA(国立行政学院)卒。
1971年に社会党に入り、1981年の大統領選挙で当選したミッテラン大統領に代わって社会党の党首(第一書記)に就任した。
その後は教育相などの要職を歴任後、1992年の大統領選に出馬し、シラク候補と決選投票まで争って敗北した。
1995年の解散総選挙でシラク大統領の右派が敗北、左派が過半数を握ると、シラク大統領との保革共存内閣の首相に就任し、5年近くの間、政局の主導権を握った。
環境派、共産党、左派の国家主権派までを束ねた左派勢力の結集を実現し、週35時間労働制への移行や、同性婚の先駆けとなったPACS制度の導入など、一連の改革を実現することに成功した。
2002年の大統領選挙に有力候補として出馬したが、極右政党FN(現在のRNの前身)のジャンマリー・ルペン候補に及ばず、決選投票に残れずに敗退(この選挙ではシラク大統領が再選を果たした)。
ジョスパン氏はこの時に、「政治から最終的に身を引く」と宣言し、そのまま政治の表舞台には復帰することはなかった。
大統領選での敗北の原因は、自らの出発点が「トロツキー派」(革命実現を目的に国家機構の中枢に潜り込むことを目指した左翼運動の一派)にあったことを明らかにするのが遅れたことなどもあったが、左派勢力が分裂して選挙に臨んだことが大きかった。
それと極右勢力の台頭の同期性は、今日の政治状況の先駆けであるともいえる。
今から振り返ると、ジョスパン氏の「引退」は、過去の政治のあり方の終焉と一致していたのかもしれない。
そのジョスパン氏の死去は、政局が改めて未知のゾーンに差し掛かる中で訪れた。
